法華経に生きる❕

永遠の覚者.仏陀の秘められた真実!その真実は、諸経の王である‘法華経’(妙法蓮華経)の中に語られています。

法華経 第九章 授学無学人記品 その7(授記の歓喜)

仏、釈尊は「法華経」 をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。 釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第九章  授学無学人記品 をご説明しますひらめき電球

 

仏の教えを弘め、仏の教えを伝える「法師」 が、この末法に必要です。

 

◎ 授記の歓喜

阿難と羅睺羅(らごら)の授記がすむと、仏はさらに他の人々に対しても、菩薩として修行を続けてゆけば、みな仏になれるということをお告げになった。

学、無学の2000人の人々は柔軟な心持ちで、しかも周囲から動かされることがなく、清らかな心で、仏を仰ぎ見ていた。

 

すると世尊は阿難に、「お前はここにいる大ぜいの人を見たか」 と言われると、阿難は「はい、見ました」 と答えた。「見ました」 というのは、りっぱな人々だと思いました、ということである。

すると世尊は、これらの2000人の人々もたくさんの仏に仕え、仏の教えを守って十方の国々で佛の悟りを得ることができよう。

その時は皆、同じ名前の「法相如来」(ほうそうにょらい)となるであろう。その仏の寿命は一劫(ごう)という長い時間であり、その国土は美しく飾られ、そこには声聞や菩薩たちがおり、仏の教えがよく行われ、守られる時代が続くであろう、と言われた。

大勢の人々は仏から授記を授けられて、未来には必ず仏になれるということを聞いてその喜びを偈文であらわした。

 

‘世尊は慧(え)の灯明なり。われは記を授けられる音を聞きたてまつりて、心、歓喜(かんぎ)に充満(じゅうまん)すること、甘露(かんろ)をもって灌(そそ)がるるが如し。’

仏の智慧は灯火(ともしび)のように明るく、一切の人々の心を照らし、迷いを取り除いてくれる。私たち皆が仏から必ず仏になれるというお言葉を聞いて、その心に大きな喜びが満ちあふれました。

 

その心の歓喜は何ものにも喩えることができない。ちょうど甘露をそそがれたようなものである。というのがこの偈文(げもん)の意味である

甘露とは不死の薬であり、仏の教えを不死の薬に喩えているのである。

この偈文は「世尊慧灯明(せそんえとうみょう)、我聞授記音(がもんじゅきおん)、心歓喜充満(しんかんぎじゅうまん)、如甘露権灌(にょかんろけんかん)」と読まれる有名な偈文で、日常お唱えすることによって、仏に対する深い感謝をあらわすことができる。

この「授学無学人記品」 までで、授記ということが一段落した。授記というのは、お前も仏に成れますよという保証を与えることである。

 

今まで「法華経」 のなかで、だれに授記が与えられたかを見てみよう。

 

譬喩品 .............. 舎利弗一人

授記品 .............. 迦葉、須菩提、迦旃延、目連の四人

五百弟子授記品 ............. 富楼那、憍陳如(きょうじんにょ)など1200人

授学無学人記品 ............. 阿難、羅睺羅、など2000人

 

ここで一応、授記が一段落したが、後で「提婆達多品(だいばだったぼん)」 で提婆達多に、「勧持品(かんじぼん)」 で憍曇弥(きょうどんみ)と耶輸陀羅(やしゅだら)に授記が行われ、すべてが終わることになる。

舎利佛(しゃりほつ)という優れた弟子に始まって,次第に仏弟子たちに及び、前段階の終わりには釈尊の御子である羅睺羅(らごら)や、いとこにあたる阿難(あなん)にまでも授記したのであった。

これによって、声聞の徒であっても、菩薩の道を一心に修行していけば、最後には仏になれることがはっきりした

日蓮聖人は「知恩報恩」(ちおんほうおん)ということを言ったが、まず、恩を知ることそれが恩に報いる気持ちになる。それでは授記を与えられた人々が恩に報いるにはどうしたらよいか。

仏に恩を返す必要はない。恩を他に施していけばよい。恩を他人に施す道は、仏の教えを弘め、仏の教えを伝えることである

そこで仏の教えを説く人、法師(ほっし)が必要となる。

どんな迫害にも屈することなく、「法華経」 の教えを人々に弘める法師について説き明かすのが、次の「法師品」である。

次回は第10章 法師品です。

追記、この末法には、「法華経」の教えを人々に弘める法師が必要です(^^)/ 次回の法師品の教えはとても重要な教えになりますので、乞うご期待です(^^)/ 

 

法華経の入手の仕方や方法は

※くわしくは、白蓮堂のホームページをご覧ください(^_^)v
↓↓
↓↓

法華経と共に! 白蓮堂 法華経について(ごあいさつ)